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2021.02.21
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1940年 「日立明三大学水泳対抗戦」の動画

1940年(昭和15年)に開催された「日立明三大学水泳対抗戦」の動画がYoutubeにアップされていましたので、ご紹介いたします。昭和10年以降、立教大学体育会水泳部の活躍は目覚ましく、まさに黄金期を迎えたと言っても過言ではない。



1940年「日立明三大学水泳対抗戦」の動画


以下、水泳部旧HPに掲載されている「水泳部90周年の歴史」より

http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/swim/history/history.html


1940年(昭和15年)の主な戦績:

●日本選手権:

8月17日~19日、神宮プールにて開催
新井茂雄:100m、200m自由形優勝
大浦誠一郎:100m平泳優勝、200m平泳2位

●日本日本学生:

9月14日~15日、神宮プールにて開催
本田武次:50m自由形2位、100m自由形3位
新井茂雄:100m自由形優勝、200m自由形2位
本間俊夫:800m自由形2位
大浦誠一郎:100m、200m平泳優勝
200mリレー優勝、800mリレー3位
立教は 得点61点を挙げ団体3位


1940年:

「オリンピックは未だ望みなきにあらず」の形勢で始まったこの年も、シーズン初めにかかる5月6日、ヘルシンキ大会中止の報に第一線選手は、がっくりした。これより先、南米ブラジルから選手派遣の要請があり、学生は学期末試験にかかるので、社会人の遊佐、卒業を待つばかりの葉室の2名が斎藤巍洋の付き添いでブラジルに出かけ、アルゼンチンにも足を伸ばした。1月から5月に亘る長期遠征であった。相手に強い選手がいないので、見せたり、指導したりの親善旅行だったが、ブラジルの桑島大使、アルゼンチンの内山公使からも「親善に大いに貢献した」という礼状も届き、国際親善に成果を上げた。

  この年は皇紀2600年に当たるというので、奉祝神宮大会が開かれることになり、日本泳法演技の奉納も9月22日・23日の両日大々的に行なわれ、水府流、向井流、神伝流、野島流その他の宗家が秘技を披露した。日本選手権では新井が、カンバックしてきた遊佐の挑戦を退け、100m・200m自由形に59秒2・2分14秒2で優勝し、100m自由形3連勝、200mは4連勝を果たし短距離の王座を保持した。また、大浦誠一郎も、100m平泳に1分16秒2で初の日本選手権を獲得、200mも葉室に次いで2分44秒8で2位となって、平泳で立教の大浦の名を残した。

  日本学生は、9月14日・15日神宮プールで行なわれ、50m自由形に本田武次が27秒4で2位、大崎定兼は27秒8で5位、100mでは新井茂雄が58秒8で優勝し、本田武次が60秒8で3位、200mは常勝新井が早大の宮本に敗れ、2位(2分14秒0)となる番狂わせとなった。800m自由形は本田俊夫が10分21秒2で2位、100m・200m平泳は大浦誠一郎が1分16秒0・2分44秒6で優勝、2種目を制した。50m背泳は平賀 孟が32秒4を出して5位、門屋 桂も33秒0で6位に入った。200mリレーは本田、坂本、大崎、新井が1分48秒6で優勝。800mリレーも新井、本間、白山、本田が9分13秒8を出して3位となって、総得点61点を挙げて早大、日大に次いで3位と健闘して、このシーズンを終えた。日本中等(甲子園)では200m自由形に2分18秒8を出した太田光雄(中京商)が優勝、400m自由形優勝5分00秒8・1500m優勝19分52秒4で酒井孝一(岐商)が名を刻んでいる。